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スズキ四輪車開発の始まり

四輪車開発のスタート

1936(昭和11)年は、当社の歴史において極めて重要な年となった。それは自動車事業への進出を決断・実行した年だからである。

創業者 初代社長の鈴木道雄は、会社が長期にわたって安定した成長を続ける為には、織機製作にかわる、新たな事業分野が必要不可欠であると考えていた。その対象を当社の技術力と国民経済の方向から、小型自動車に絞ったのである。

目標を自動車に定めた道雄は、1936年8月に参考車として、イギリス製小型四輪車「オースチンセダン」を1台購入した。エンジンの試作は1937(昭和12)年秋に成功し、オープンカーに仕上げた。この試作車第一号の完成に力を得た研究陣は、引き続き四輪車の研究に全力を傾注した。1939(昭和14)年夏には、小型四輪セダンの試作車が完成。750cc 4サイクル水冷4気筒エンジンを搭載したFRタイプで、クランクケースやミッションケースにアルミ鋳造品を使うなど、当時の技術としては実に優秀なものであった。

本社敷地内での試作車のテスト走行(1937年)

本社敷地内での試作車のテスト走行(1937年)

小型四輪セダンの試作車(1939年)

小型四輪セダンの試作車(1939年)

自動車研究の中止

順調に進んでいた自動車研究に、思わぬ障害が立ちはだかった。1937(昭和12)年7月に勃発した日中戦争は日に日に戦火を広げ、同年9月には軍需工業動員法の戦時規定が適用され、全国の主だった工場が軍需工場に変わり始めた。

当社もやむなく軍需品の生産を開始したが、戦火の拡大とともに軍の増産命令が強まり、もはや自動車の研究どころではなくなったのである。かくして5年間にわたる自動車研究は、軍事優先の時局のなかでやむを得ず中止することとなった。 それでも、道雄の自動車への執念が消えることはなかった。

夢の実現へ

1954(昭和29)年1月末、戦争によって中断せざるを得なかった四輪車の研究再開が決定し、再び四輪車の研究がスタートした。そして9月1日に360ccエンジンを搭載した試作車を完成させたのである。

研究再開からわずか7か月というテンポで試作車が完成できたのも、戦前の自動車研究が役立ったことはもちろん、二輪車の生産によって製造技術が急速に進歩したことも奏功した。試作車を軽自動車としたのは、免許や税金のことなどを踏まえ、大衆に望まれるのは軽自動車と考えたからである。

10月25日には、試作車2台による箱根登坂テストを行いながら東京をめざした。試作車が東京へ向かったのは、当時自動車販売の第一人者といわれた梁瀬自動車株式会社(現・株式会社ヤナセ)の批評を乞うためであった。梁瀬社長は一目見るなり、「これはいい車だ」とさっそくハンドルを握り試運転を行った。その後、梁瀬社長から的確なアドバイスをいただくことができ、道雄や研究・開発に携わった従業員らは、百万の援軍を得た思いであった。

スズライトの試作車(1954年)

スズライトの試作車(1954年)

スズライトの箱根登坂テストに立ち会う鈴木道雄社長(向かって右から3番目)(1954年)

スズライトの箱根登坂テストに立ち会う鈴木道雄社長(向かって右から3番目)(1954年)

スズライトの発売

開発は快調なペースで進み、1955(昭和30)年10月、ついに360cc 2サイクルエンジンを搭載した軽四輪車「スズライト」の発売に至ったのである。名称の「スズ」は“鈴木”の略、「ライト」は“軽い”、“光明”を意味した。

価格はセダン42万円、ライトバン39万円、ピックアップ37万円であった。発売当初の生産台数は月産3~4台程度に過ぎず、目標の30台に達したのは1956年2月のことであった。 「スズライト」はスズキ初の四輪車、そして日本の軽自動車のパイオニアとして、新たな時代の扉を切り開いたのであった。

スズライトSS(1955年)

スズライトSS(1955年)

スズライトのカタログ(1955年)

スズライトのカタログ(1955年)