今日、外の掃除をしていると、あることに気が付きました。
この前(5月30日の投稿参照)紹介した謎の「尾」、アスファルトに埋まって読めないと思っていたのですが、なんと、泥が堆積していただけで、泥をよけると二文字目を読むことが出来たのです!
注目の2文字目は・・・
「浜」
そう、前回予想したとおり、「尾浜」だったんです!しかし、どうして1Km以上離れた「尾浜町」の標識がここにあるのでしょう?歴史学科の血が疼きます( ̄▽ ̄)ノ
少し難しい話になりますが、仮説を立ててみました。
そもそも、なぜ内陸に「浜」があるんだ、浜といえば海じゃないか、と思われる方もいらっしゃると思うのですが、昔は海だけでなく、川も多くの船が往来し、その岸には「津」や「瀬」といった港を思わせる地名がつけられていることが多いです。尾浜町も町を二分するような形で「庄下川」が通っており、さらに町の北側には「昆陽川」という川との合流地点が存在します。こういった場所は中世では物流の中核を担っており、地理的にとても重要でした。庄下川と昆陽川の合流地点の北1Kmの場所には「専念寺」とよばれる寺があるのですが、これは福原京を作り、平家の最盛期を築いたことで有名な平清盛の長子・平重盛の菩提寺になります。写真は庄下川です。お店の400m東にあります。
「中世、尾浜町の勢力が庄下川沿いに伸びたため、現在は尾浜町ではない地域にも名残として標識が残った」というのが私の仮説です。また何か思いついたり、現地を見て何か気がついたら、続きを書こうと思います。もし「ここにも標識がある」とか知っていることがあれば、教えてください!もちろん、標識だけじゃなくて、車も見に来てくださいね!ご来店、お待ちしております(^^)/