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2002 APRC Rd.4 ラリー オブ タイランド
スズキ スイフト(田嶋/ラベット組)、2リッターカップ
2年連続のシリーズチャンピオン獲得!
 
2002年12月2日

 1週間前までは季節はずれの大雨に見舞われたアジア・パシフィック・ラリー選手権最終第6戦のラリー・オブ・タイランドは、無事快晴のもとにスタートが切られ、22台の競技車が3日間トータル1068.65km、16SS269.73kmのコースにアタック、12月1日の日曜日に競技は終了した。

 開催地ラヨーンの北にあるナンプラライ湖周辺はラリーに使えるダートロードが豊富で、3本の林道をベースにアクセス路を変えたり逆走したりと巧みに使い分けて16本のSSが作られていた。前週の雨で一部の路面は荒れていたが、湖を巡るコースはかなりの高速コースとなっていた。

 スズキ・スイフト(イグニス・スーパー1600)で2リッターカップの2年連続、通算6度目のチャンピオンを狙ってスタートした田嶋/ラベット組は、FF2WDマシンには厳しい荒れた路面に手を焼き、レグ1は総合10位とやや出遅れてしまった。しかし田嶋/ラベット組イグニスはこのラリーでスタートさえすれば選手権規定の出場数を満たしたことになるため、正式に2リッターカップチャンピオンが決定した。

田嶋選手
 レグ2は9本、132kmのSSが設けられたハードな一日になっていたが、更にこれに40度近い気温と高湿度が加わり、選手たちは脱水症状寸前。サービスパークで待ち受けてマシンの整備を受け持つメカニックたちも大汗をかいての作業となった。しかし田嶋イグニスは豪快なサウンドを響き渡らせて快走につぐ快走、上位の4WDターボマシンを次々と抜き去り、総合6位でラヨーンに帰ってきた。「チャンピオンが決定したからといって手を抜くつもりは無い。今年最後のイベントでもあるから思い切り戦って少しでも上位でゴールしたい。それにしても暑過ぎる」と田嶋選手は汗をぬぐいながら言っていた。

 そして最終日、ステージは15.37kmと16.76kmの2本を2回ずつ走るのみ。天候は朝から雨雲が空を覆っていたが、1本目の湖岸のSS13が開始される頃には太陽が顔を出した。田嶋/ラベット組はここでも総合6位をキープ、2本目のSS14に向かった。そしてここで今回最大のドラマが起きた。先頭を悠々と走る総合チャンピオンのカラムジット・シン組プロトンが大きな段差での着地でオイルパンを強打、エンジンオイルが漏れ出し、次のSS15でストップ、リタイアとなった。そして総合5位と8位にいたインドのタイヤメーカーチーム、2台の三菱ランサーが転倒、大きくタイムロスをした。これで一気に4位かと思われたが、シン組がダメージを受けた段差で田嶋スイフトもジャンプして頭から着地、そのショックでフロントサスペンションにダメージを受けて走行不能になってしまった。

ラベット選手 / 田嶋選手
「チャンピオンは獲得したものの、もう一つの目標だった総合5位以内入賞での2年連続クラス優勝は、ほぼ手中にしていたのに果たせませんでした。今年の有終の美が飾れなくて残念ですがこれもラリーです」と悔しそうな田嶋選手だったが、レグ1でのパンクや悪路での遅れを十分に取り戻した走りとマシンのパフォーマンスには満足したようだった。
 これでジュニアWRC世界ラリー選手権にも挑戦を始めたスイフト(イグニス・スーパー1600)の記念すべき2002年度の活動はすべて終了した。だが1カ月半後にはもう次シーズンのジュニアWRC第1戦モンテカルロ・ラリーが開催される。スイフト(イグニス・スーパー1600)を更に強力なマシンに仕上げる努力は休み無く継続されなければならない。そしてその成果が2003年のジュニアWRCとAPRCでいかに発揮されるか、大いに楽しみにしたい。

これで本年度の活動はすべて終了致します。一年間あたたかいご声援、誠にありがとうございました。







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